無実の星野文昭さんを取り戻そう!東京北部の会

9月6日(金)~8日(日)星野文昭さん追悼絵画展をギャラリー古藤で開催します

星野文昭絵画展2019チラシオモテ
沖縄闘争を闘い、無実で獄中44年
星野文昭さん追悼絵画展 

とき
9月6日(金)~8日(日)

6日(金)12:00~19:00
7日(土)10:00~19:00
8日(日)10:00~18:00

ところ 
ギャラリー古藤

武蔵大学前(練馬区栄町9-10)

入場無料

〇DVD「星野文昭獄中44年の闘い」「韓国・テグ訪問記録」随時上映

追悼企画
○6日(金)有志によるミニシャンソンライブ
14時〜15時

○8日(日)丸尾めぐみさん(シンガーソングライター)ライブ
「ソリダリティ」「あの坂を登って」など
17時〜18時

主催 東京北部・星野文昭絵画展実行委員会
連絡先 無実の星野文昭さんを取り戻そう!北部の会
豊島区西池袋5-13-10-603 
℡080-1003-0058(藤ノ木)

星野文昭絵画展2019チラシ裏
「人間が人間らしく生きられる社会を」
――星野文昭さんが描いた世界

沖縄ゼネストと連帯した渋谷闘争
星野文昭さんは、1971年11月10日に沖縄で起こった米軍基地を固定化させる沖縄返還協定のペテンに対する基地労働者を先頭にしたゼネストに連帯し、4日後の11月14日の渋谷闘争の先頭で立ち上がりました。その中で機動隊員1名が死亡。高崎経済大学学生としてデモ隊のリーダーだった星野さんは、「殺人罪」でデッチあげ逮捕され、44 年にわたって不当な獄中生活を強いられてきました。
 星野さんの闘いは、基地のない島を求める現在の沖縄の人々の闘いとつながっています。

生涯をかけて戦争反対の先頭に
 「人間が人間らしく生きられる社会を」。星野さんは獄中から無実を訴えるとともに沖縄や福島、パレスチナなどを題材にした絵画作品を発表し、熱いメッセージを送り続けてきました。
 星野さんは昨年8月、収監されてきた徳島刑務所で腹痛を訴えて倒れ、家族や弁護団が原因究明と獄外での治療を求めました。しかし徳島刑務所は医療無視を続け、肝臓の6割をがん細胞が占めるまで放置、エコー検査の結果も隠し続けました。星野さんは移送先の東日本矯正医療センター(昭島市)で緊急手術を受けましたが、翌朝容体が悪化、2日後の5月30日夜に逝去されました。
 生きて星野さんを取り戻す願いはかないませんでした。しかし、お連れ合いの暁子さんとご兄弟が遺志を継ぎ再審請求を続け、国家賠償請求訴訟に踏み切ります。
 星野さんの生涯は、今の社会のあり方を問い続けています。彼が遺した絵画を見て、星野さんの人間性と社会変革にかけた思いを知っていただきたいと思います。

星野文昭さんの無実は明らか。再審勝利を
 7月26日の星野文昭さん追悼集会で、武蔵大学教授の永田浩三さんが追悼の言葉を述べられました(抜粋)。
 私が勤務する武蔵大学前のギャラリーで何度か絵画展をお手伝いさせていただきました。
 武蔵大学名誉教授の星野誉夫さん(文昭さん従兄)とは大学が同じですから、そこで初めてお話を聞き、そのご縁で再審の証拠として使っていただく映像作りに関わりました。
 私の前の職場はNHKです。現場とされているNHKの西門、梅澤米店のあたりは私の勝手知ったる場所です。11 月の3時過ぎあたりに、NHKの坂を車が降りる時、何度も車のフロントガラスに明かりが当たって、まぶしかったことを体験として記憶しています。
 星野さんは核抜き本土並みがいかに欺瞞に満ちたウソで固めたものであったかという事を先駆的に訴えたと思います。


星野文昭さん プロフィール
1946.4.27  札幌市で生まれる
1966.4月  高崎経済大学に入学
       不正入試阻止闘争に参加
1971.11.14  沖縄返還協定批准阻止闘争に参加(機動隊員1名死亡)
1975.8.6   デッチあげ「殺人罪」不当逮捕
1986.9.17  暁子さんと獄中結婚
1987.7.17  最高裁で無期懲役確定
2009.11.27  第2次再審請求書提出
2013.9.8   『獄壁を超えた愛と革命-星野文昭・暁子の闘い』発刊
2017.7 月  服役30 年に
      「仮釈放」を四国更生保護委員会に計15 回申入れ
2019.3.25  更生保護委員会、不許可決定
2019.4.18    昭島市の東日本成人矯正医療センターに突如移監
      検査で肝臓の腫瘍が明らかに
2019.5.28  肝臓ガン切除手術
      翌朝容体が悪化。2日間に及ぶ生きるための闘いを続ける
2019.5.30  午後9時44分逝去。享年73歳


星野さん追悼、獄死弾劾 7・5法務省デモに参加しました

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5月30日、無実の政治囚・星野文昭さんが亡くなりました。
星野さんは沖縄返還協定批准阻止の71年渋谷闘争を闘い、殺人罪をでっち上げられ、無実で獄中44年を強いられながら、生涯、不屈・非転向を貫いぬきました。
「人間が人間らしく生きられる社会の実現を」と訴え続けた星野さんの遺志を引き継ぎ、再審無罪への闘いが始まりました。

7月5日、星野さんの命を奪った法務省を怒りのデモで包囲する行動が行われ、平日にも関わらず320人が集まりました。私たち「無実の星野文昭さんを取り戻そう!東京北部の会」も休暇をとって駆け付けた労働者をはじめ参加しました。

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連れ合いの星野暁子さんが発言。
文昭さんの遺志を引き継いで再審請求人になると宣言し、「文昭が残してくれたすべてを生かしきり、人間が人間らしく生きる社会をつくるために頑張りましょう。無念を晴らすべく国家賠償請求訴訟に立ち上がり、第3次再審請求裁判に勝利しましょう」と訴えました。

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全員が喪章をつけてデモに出発。

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法務省前で青年がマイクをとってシュプレヒコール
「星野文昭さんを殺した責任を取れ!」「命を奪った法務省弾劾!」「国家犯罪を許さないぞ!」「星野精神を継承するぞ!」
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星野文昭さん追悼
獄死・国家犯罪を許すな!

7.26全国集会に集まりましょう!
09-7.26-01

7月26日(金) 午後5時開場 午後6時開会
杉並公会堂・大ホール

東京都杉並区上荻1-23-15
電話03-3220-0410 JR中央線荻窪駅北口徒歩7分

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最後に、翌日の星野再審連絡会議総会での星野暁子さんの発言を紹介します。

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文昭の葬儀から1カ月、本当に長い時間が流れたように思います。私は星野文昭の無実を明らかにするための再審請求人になる者として、文昭が生涯をかけた、人間が人間らしく生きられる世の中を求める闘いの、すべてを引き継ぐ者として皆さんの前に立っています。
 星野精神の継承という時、それが何なのか、一緒に生きている文昭に問いかけながら考えています。一つは、人間に対する信頼です。文昭は人間の本質を他者との共同性と位置づけていました。私を心から信頼し、仲間を信頼し、労働者民衆が必ず立ち上がることを信じ、その確信が揺らぐことはありませんでした。
 二つは、人間解放のための準備を日々怠らなかったことです。革命家として生きたということです。まず学習です。その日のために自分を磨いておかなければならないと言っていました。大好きな絵も、その優先順序を変えようとはしませんでした。
 三つは他者への優しさです。そして、正しいと思ったことを率先して実行することです。言うべきことは、刑務所当局にはっきり言い、食事の配膳をする受刑者の負担を考えて、おかゆの申し出をなかなか決断しなかったぐらいでした。
 四つは、どんな仕事に対しても腐ることなく全力投球したことです。かばん作りの負担が文昭の肉体をむしばんだことを考えると本当に悔しいです。文昭の姿勢はいつもそうでした。
 この全体を貫いて沖縄への連帯があったことは言うまでもありません。
 これからやるべき闘いとして三つあります。一つは、国家賠償請求訴訟です。昨年8月、徳島刑務所で文昭が倒れた時、「胃けいれん」などとして1日休んだだけで翌日から仕事を強制されました。原因を追求する検査がなされていれば、もっと肝がんが小さいうちに、リスクの少ない治療ができたはずです。3月4日、エコー検査が行われましたが、結果は4月17日まで文昭に知らされませんでした。更生保護委員会には知らされたのか。仮釈放決定にかかわる問題です。そして4月18日に移監になった昭島の東日本成人矯正医療センターで11㌢×14㌢の巨大な肝がんを切除する手術は2名のみの執刀医で行われました。万全な態勢だったのか。術後の態勢はどうだったのか。国賠で文昭の無念を何としても晴らさなければなりません。
 二つは、殺人罪でっち上げを明らかにする第3次再審請求裁判です。申立人には私がなります。弟の修三さん、兄の治男さんも申立人になると言っています。大坂裁判を星野裁判の継続として闘い、その地平に立って、再審勝利を勝ち取りましょう。
 三つは、安倍政権打倒の闘いです。労働者民衆の怒りを欺いて、改憲・戦争の道を敷き詰めている時、私たちみんなが星野文昭になって闘うことは重要です。
 文昭がたった一人、無期懲役刑になり苦しんでいたころ、私は一緒に生きようと言って獄中結婚をしました。文昭は共に生きた33年の中で、そのことを片時も忘れませんでした。「もう一度生まれてきても、僕は暁子とみんなとの団結を生きる。後悔するものは何もない」。それが文昭が残した言葉なのです。
 文昭の精神は、手術前の最後の1日さえ意欲満々でした。生かしてやりたかったです。危篤になってからも、文昭は力を出し尽くして生き抜き、私と手を握りしめ、抱きしめあって、すべてを成し終えた安らかな顔で旅立ちました。
 文昭が残してくれたものは、くみきれないほど大きいです。200を超える絵も残っています。書簡集も作りたい。それを生かすのは私たちです。悲しみを乗り越えて、皆さん、頑張っていきましょう。

1.27星野文昭さん今すぐ解放全国集会に参加し、浅草をパレードしました

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 1月27日、星野文昭さんの解放を求める集会が墨田区のすみだリバーサイドホールで行われました。
 本集会は昨年6月、11月に高松で行われた集会の第3弾として、無実で44年の獄中生活を送っている星野文昭さんの今年度中の解放を訴える集会になりました。

 今回は、韓国の大邱(テグ)で開催された星野文昭絵画展の報告や、ミュージシャンの福山竜一さんによるライブ、四国地方更生保護委員会への申し入れ行動の報告など、盛りだくさんの内容でした。

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▲テグ訪問を報告する星野曉子さん

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▲「とり戻そう!星野」を熱唱するミュージシャンの福山竜一さん

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▲青年が登壇し「ソリダリティ」を合唱

 中でも、申し入れ行動は、元参議院議長の角田義一さんや、佐渡市議会議員の荒井眞理さんなど、新しい顔触れが参加しています。角田さんは「国家政策のとんでもない不正義を暴き出し、世論に、世界に訴えかけていく」と述べました。荒井さんは「被害者家族の『真実が知りたい』という願いを実現することが、星野さんを解放することだ」と述べました。無実を訴え続ける星野さんの不屈の正義性が、情勢を確実に動かしています。

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▲「無実で長期投獄は正義性に反する」元参議院議長の角田義一さん

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▲「事件の真実を明らかにする」と話す佐渡市議会議員の荒井眞理さん

 集会の最後に家族からの発言もあり、刑務所での人権無視の実態があげられました。“誰もが人間らしく生きられる社会” この言葉の意味をもう一度考え直さなければならないと思いました。

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 集会後、パレードが行われました。今回は舞台が浅草ということもあり、浅草寺前で賑わう人たち、特に外国人観光客の注目を一手に集めました。

 現在、四国地方更生保護委員会への仮釈放要望書は16,000枚近く集まっています。
私たちも、釈放と再審無罪を求めて、東京北部地域の皆さんに呼びかける運動をしていきます。


成増で星野さん絵画展開きました

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12月8日と9日の2日間、板橋区の「まなぽーと成増」の会議室で星野絵画展を行いました。

今回お借りした会場は、前身が社会教育会館で、地域の団体が日常的にサークル活動を行い、中高生や若者に開かれたスペースともなっている、地域活動の拠点です。そこに私たち星野勢力が地域になじむ形で着地しました。
それは、星野さんが獄中44年不屈に闘い再審と解放を求めていることに感動した地域の方の協力があって実現したものです。

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親子で絵とDVDをじっくり見て要望書を書いてくれた方など、文字通り地域の方が来場してくれました。
11月に練馬で開催した絵画展に来た方が、御礼状を見て足が不自由なのをおして再来場してくれたり、星野さんの闘いに感動してスタッフの手を握って帰っていった若い女性などもいて、絵画展を重ねるごとに繋がりも一過性でない繋がりになってきていることを実感しました。

2日目の最後は、スタッフ全員がそれぞれ来場者に話しかけている状態となり、この1年間で地区の仲間全員が星野闘争の担い手に飛躍したと実感しました。それを主体的条件として、会館利用者との交流なども含めた地域に密着した運動への展望を開いた絵画展になったと思います。

今年19年こそ星野さんの釈放を実現し、再審無罪をかちとりましょう。

練馬で星野文昭絵画展&中谷美弥版画展を開催しました

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 11月9、10日の2日間、練馬厚生文化会館で、星野文昭絵画展を開催しました。練馬区内では何度も絵画展を積み重ねてきましたが、今回は、星野闘争と狭山闘争のコラボ絵画展にしようと論議してきました。

 星野さんも石川一雄さんも無実であり、国家権力による「えん罪」=権力犯罪との闘いです。「全証拠開示」で確定判決を覆し、再審開始をかち取る闘いです。今回、版画家の中谷美弥さんに「狭山差別裁判を彫る」木版画シリーズを友情出品していただき、企画が実現しました。

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▲星野文昭さんの自画像(写真左)と獄中結婚したお連れ合いの暁子さんの肖像画(写真右)

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▲星野さんの歩みと裁判・再審の経歴

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▲中谷美弥さんの木版画が出展された

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▲狭山事件と石川一雄さんの闘争の歴史


 初日は雨でどうなるかと思いましたが、2日目は会館内にあるお風呂や敬老室、児童室に来た地域の方々や子どもたちが続々と来場してんてこ舞い。年配の方は「石川一雄さんと一緒だね」と中谷さんの版画から星野さんの絵画へとじっと眺め、「涙が出るね」。小森龍邦さんが,星野さんの仮釈放のために高松の更生保護委員会に申し入れをしたことも話題になりました。子どもたちは、自分たちの使っている絵の具が星野さんのと同じだということに感動し、喜んでバッジを持って帰りました。

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▲会場には会館利用者など多くの人が訪れた

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▲絵画と詩と五大紙に掲載された意見広告。レイアウトにもこだわった

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▲幼少期〜学生時代の星野さんの写真。右上は父・三郎さんの写真

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▲やわらかいタッチの水彩画に感動の声が寄せられた

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▲子どもたちも絵を見て感動

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▲仮釈放審議の要望書を書いてくれる人も

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▲来場者には缶バッジをプレゼント。カレンダーも販売しています


 事前に会館周辺の住宅にチラシを全戸配布しました。また,この間地域に狭山闘争のビラを入れてきた解放共闘の闘いも今回の絵画展の成功を支えました。当日には、「百万署名」北部連絡会が練馬駅前で改憲反対の署名をしつつ「絵画展」のチラシを配ってくれました。おかげで、「駅前でもらいました」と来られた女性もいました。

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▲会場では辺野古基地建設反対闘争の実録DVDが上映された

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▲今年4月の映像。沖縄では基地阻止の闘争がリアルタイムで繰り広げられている

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 2日目には、中谷美弥さんご本人が来館しました。
 星野闘争が狭山闘争と一体となり、改憲阻止の軸に座ることで、地区の闘いが豊かに広がっていくことが実感できる絵画展となりました。

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▲版画作者の中谷さんご本人登場!

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▲自らの作品を解説する中谷さん


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私たちの紹介
「改憲・戦争阻止!大行進」運動(呼びかけ:西川重則(とめよう戦争への道!百万人署名運動事務局長)、花輪不二男(世田谷地区労顧問)、森川文人さん(憲法と人権の日弁連をめざす会)、動労千葉・関西生コン支部・港合同などの労働組合)の呼びかけに応え、東京北部地域(練馬区/板橋区/豊島区/文京区/北区)での実行委員会を結成し、活動しています。

◎呼びかけ人 五條敦(とめよう戦争への道!百万人署名運動・東京北部連絡会代表:板橋区)/岡田英顯(「君が代」被処分者:北区)/高橋浩(東京一般労組東京音楽大学分会長:豊島区)/一陽会労働組合(練馬区)/一般合同労働組合東京北部ユニオン(豊島区)/NAZENいけぶくろ(豊島区)/無実の星野文昭さんを取り戻そう!東京北部の会(板橋区)

◎連絡先
住所:〒171-0021東京都豊島区西池袋5-13-10-603 東京北部ユニオン気付  
TEL:03-6914-0487 
メール:tokyohokubu-daikoushin@yahoo.co.jp

◎地域運動体→
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