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 「オスプレイ配備阻止!改憲・戦争とめよう!横田基地講演会&現地調査」が行われ、東京北部地域の青年もまとまって行って来ました。
 今年4月3日、横田基地にオスプレイ配備が突然発表された中、その安全性に問題があるとして多くの人が反対の声をあげています。
 今回は、横田・基地被害をなくす会副代表の福本道夫さんを講師にお迎えし、横田基地とオスプレイ配備の問題点を現地の視点で考え、体感してきました。

 陸軍所管の飛行場として開設された横田基地は戦後米軍に接収され、朝鮮戦争では戦闘機や爆撃機の出撃基地となりました。オスプレイ配備の契機は2012年です。その年、航空自衛隊航空総隊司令部が移駐し、米軍と自衛隊が共用する基地となりました。福本さんは、それ以降の基地周辺の動向をつぶさに観察し、オスプレイの飛来を確認しています。基地敷地外での水平飛行・垂直飛行のモード切り替えや、学校・病院上空の飛行など、日米合同委員会での合意を守らない運用をしていると指摘します。年間約500名ものパラシュート降下訓練や戦闘機のタッチ&ゴー訓練などが確認されており、基地周辺の住民の生活を無視した政策を弾劾しました。

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▲スライドを使って説明する福本さん。自宅付近から撮影されたオスプレイの写真が公開された

 講演後、三里塚芝山連合空港反対同盟の伊藤信晴さんから特別アピールがありました。約束を守らず、カネで解決しようとする空港推進派を弾劾し、福本さんの地道で精緻な調査に敬意を表し連帯して闘うことを表明しました。

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▲三里塚芝山空港反対同盟の伊藤信晴さんが連帯のあいさつ

 午後は現地調査に行きました。福本さんのガイドで基地周辺を一周しました。
 昭島駅北口から数分、基地南側の昭島市環境コミュニケーションセンター(清掃工場)は、かつての堀向(ほりむこう)商店街に建てられました。航空機騒音によって商店街の住民は集団移転を余儀なくされ、今は石碑だけが残されています。商店街のできた当時は飛行機製造の町として賑わいましたが、飛行機の重量化による騒音の増大が移転の要因だと言えます。基地の運用形態によって住民の生活はいつでも破壊されうるということです。

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▲商店街跡地に建てられた石碑。かつての面影は全くない

 続いて基地の西側、国道16号線沿いのビュースポットから基地内部を視察しました。そこにはオスプレイが! しかも複数機! 肉眼ではっきりと確認できました。
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▲基地西側のビュースポットから撮影。回転翼を突き出した形のオスプレイが見える

 基地の北側、狭山丘陵の西端に建つ瑞穂町の瑞穂ビューパーク展望広場(通称スカイホール)屋上に移動しました。ここからは横田基地が一望できます。横田基地は滑走路約4km、5市1町にまたがる広大な土地で、99%以上が国有地です。国が土地を買って米軍に売るとのことで利権が絡み地域を村八分にします。沖縄、成田空港と同じ構図が見て取れます。

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▲瑞穂町のスカイホール屋上にて

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▲ひさしの向こう側に横田基地が見渡せる

 基地東側は細い路地に基地が面していて、敷地内の様子が近くで確認できます。写真は射撃訓練場ならびに消防訓練に使用する焼け焦げた飛行機の躯体です。フェンスのすぐ内側を道路が通っており、外国人や日本人を乗せた車が走っていました。
 また、基地付近の工場敷地内に騒音測定装置を発見しました。航空機の騒音を独自に測定しているようです。

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▲基地東側の射撃訓練場。いつ実弾が飛んできてもおかしくない

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▲消防訓練で使用される焼け焦げた飛行機の躯体があった

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▲付近工場敷地内に設置された騒音測定装置。独自に騒音を測定しているようだ

 地域住民の生活を脅かす基地は絶対に撤去するべきです。そのためには基地ありきの体制を根本から変えていく行動が必要です。改憲=戦争を阻止することです。私たちの力で変えていくしかありません。地域と連帯し声をあげていきましょう‼︎
福本さん、暑い中一日本当にありがとうございました。

最後に、参加した青年の仲間の感想文です。
今回初めて横田基地見学に参加させて頂きました。沖縄闘争に続く大規模行動で、酷暑レベルの暑さの中で、昭島駅へと到着しました。
初めに原告の方の話を聞きました。沖縄でも落下物や不時着(実質、墜落ですけど)の問題が頻発していますが、今回の話では『騒音』の話と『国の対応』の話が印象に残りました。昭島・立川周辺を巡りながら、昭和40年代の話を聞きました。
騒音の大きさで風呂屋のガラスが割れてケガ人が出たことやわずかな金銭と引き換えにほとんどの人が退去を迫られたことは本当にひどいと思いました。
基地西側のビュースポットから横田基地内部を見た際には、6~7台のオスプレイを見ることができました。 アンテナ状のプロペラは遠くからでもはっきり見えました。
最後の時に、参加していた地元の労働者の方が「これが落ちてきたら俺は死ぬ」と言っていたのが非常に地域住民の声を反映したものだったと思います。
今回は半ば突発的な参加だったため理解が浅かった部分もありました。今後の活動では更に事前に調べてからいきたいと思います。暑い中、皆で見れたのは貴重な経験でした。